Chu!死ねなくてごめん 生まれてきちゃってごめん

無理して学校にちゃんと行くようにしてからあまり鬱にならなくなって、私は頑張っていないと生きていけない側の人間なんだと気づいた。なんて生きにくいんだろうと思った。

 

過去のトラウマがわだかまりがずっとずっととけなくて、まるで私だけ見えない檻の中にいるみたいだ。私はこの先もずっと呪いがかかったまま生きていかなければいけないのかと思うと、死にたくなる。過呼吸になるまで泣く度、このまま息が出来なくなって死ねればいいのにと思うのに、いざ死のうとすると自殺に失敗した時のことばかり考えてしまうし私が今ホームに飛び込んで死んだらどれだけの損害賠償を親に背負わせることになるのだろう、そんなことばかり考えてしまって飛ぼうとすら思えない。親の事は大嫌いなはずだし血縁関係があるだけで親だとも思っていないはずなのに。私はもしかしたら優しい人間なのかもしれないとか思ったりもする。

 

私だって別に幼い頃からずっとこんな鬱人間だったわけではない。小学生の頃はそれなりに夢と希望(笑)をもって生きていたし、どれだけ暴れ狂った親を見てもリビングで警察と口論する親を見ても、次の日にはいつも通りの親に戻るから、私にとっては親だったしあの人たちの事が好きだった。本気で死にたいなんて思ったことがなかった。

 

今思うと、小4の時珍しく家族5人で旅行に行き、私のちょっとした態度が原因で父親が暴れた日。この時が人生で初めて本気で死にたいと思った時であり、死にたいという感情を覚えてしまった日であったような気がする。別に父親が暴れるのなんて日常茶飯事だったしそれが初めてじゃなかったけれど、散々私たちに暴言暴力を振るい、もう帰ると幼稚園児のように嘆き暴れた直後に、号泣しながら兄2人を抱きしめ ごめん、ごめんな と謝る父親と疲れた顔でただ突っ立っている兄2人を見た瞬間、私の中で何かが壊れたような気もする。私からしてみるとどんな映画のどんな残酷なシーンよりも、その景色は残酷だったし一生忘れられないんだと思う。ちなみに父親は酒を飲むと記憶が飛ぶタイプだったんだけど、次の日私たちが家に帰るため荷造りをしていると、ぽかんとした顔で何をしているんだと聞いてきたときはさすがにぶちギレそうだった。

 

1番上の兄が、母親に 妹(私)は何もしていないのに、可哀想だと思わないのか と聞いてくれた時、この家に生まれてきてしまったんだから仕方ない、と言われた。母親のその言葉を聞いた時から、仕方ないという言葉で全てを片付けようとする人のことが嫌いになった。